イシキの遊び場7月号:「パルプ・フィクション」から 怒りと復讐の世界から離脱しよう

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皆さん、こんにちは!イシキSmoothyのシャオです!💓

「イシキの遊び場」へようこそ!ここでは、意識の成長を促すインスピレーションが届く映画をお勧めする「イシキの遊び場」です!

さて今月、TimeWaverはどんなテーマをピックアップし、どんな映画を選んだのでしょうか?

今回の「イシキの遊び場」で注目するテーマは「怒り」(Anger)という意識レベルです。

人生の世界観が「怒り」を中心になると、人は反発し、自他や環境を嫌い、最終的には衝動的、で攻撃的な態度、行動、発言の様な結果として現れます。よって、人を攻撃し、また復讐されるという、「やる、やられる」のループの上で人生が展開するようになります。。

自分の中の「怒り」をどうやって変容させるか?今回選ばれた映画、「パルプ・フィクション(1994)(原題:Pulp Fiction)」には、その変容の鍵が隠されていました。

https://www.youtube.com/watch?v=VjU3Uwe1rsY

⚠️以下ネタバレバレですので、先に映画を見たい方は、見てからこの記事を読んでください!

パルプ・フィクションは、アメリカのヤクザを背景にした物語です。主要な登場人物の一人ひとりは、それぞれの持つ「怒り」という意図で行動しています。

例えば、サミュエル.L ジャクソン演じる、ヤクザのボス、マーセルスの部下で殺し屋のジュールスは、彼のボスのルールを守らないクライアントには正義という名の死の制裁を下します。同じく、マーセルスの部下の殺し屋で、ジュールスの相棒のジョン・トラボルタ演じるヴィンセントも、出来事に対しての責任を問われると反発して攻撃的な態度を取ります。さらには「自分が社会の劣等者でない!」と反発しそれを証明するために、彼らより優位な立場にいる一般人に対して、強盗と言う攻撃的な行動をとることにしたカップルも登場したり、「自分の権力と強い立場」を確保ために、歯向かうものや、意図に反する人を嫌悪し制裁を与えるジュールスとヴィンセントのボス、マーセルスもいます。理由は違えど、全員同じ怒りの意図を持ち、自分の考えに反する人を傷つけたり、殺したりしました。

登場する主要キャラクターの一人ひとりは、彼らにあった怒りの意図を解消するイベントや事件に遭遇し、うまく気づいて乗り越えていき(めちゃタフな課題なのですが、、、)新しい人生をスタートできました。ですが、ヴィンセントだけ唯一、劇中に不運な形で死んでしまうのです!

ヴィンセンと他の主要キャラクターとの間の違いはなんだったのでしょうか?これから、イシキSmoothy視点から、その違いを紐解いていこうと思います。

この違いを紐解く上で一番良い比較は、ヴィンセントとジュールスです。彼らは二人ともスタートラインは殺し屋ですが、結末は全く異なる二人です。この結末の違いをうんだ重要なシーンがこちらです。

ある日、ヴィンセントとジュールスが一緒に殺し屋依頼のために、数人の若者がいる家へ赴きました。仕事は予定通り進み、引き上げようとした時、突然奥のバスルームからもう一人銃を持って飛び出し、至近距離で二人目掛けて全弾打ち切りました。突然の事に身動きが取れなかった二人は、少し間を開けてから弾は体ではなく、壁に当たった事に気づき、すぐさま撃ち返し殺めました。その後ジュールスが、弾は全弾体を通り抜けたから、二人とも死なずに済んだ、これは神様の奇跡だと思い始め、神の存在を強く信じる様になりました。ですが、ヴィンセントはジュールスの考え方が非現実すぎてバカらしいと思い、彼の考えを否定しました。

最終的には、ジュールスは今までやってきた殺し屋の仕事から足を洗う事を決断し、自分にとって意義深い人生をスタートするために、人生の他の可能性を探し始めることにしました。一方ヴィンセントは、そのままボスの指示に従って動く殺し屋業を続けたのですが、他の暗殺対象に自分の銃を取られ、暴力的な力によって生涯を閉じる事になりました。やはり「怒り」意図で生きると、「怒り」の意図が物質化して自分に帰ってくる事を示していますね。

この違いを通してわかるのが、「怒り」の意図を超越できる自分軸があるかどうかです。

ジュールスが信仰深いことはさておき、二人ともすぐにイライラし衝動的な行動、反応、発言に走る傾向がありました。

映画の冒頭、ジュールスは

「心正しき者の歩む道は、心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。よって我は、怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもって、我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ。そして、我が汝に復讐する時、汝は我が主である事を知るだろう。Ezekiel 25:17」

という聖書の言葉を殺す相手に聞かせ、自分の行為を正当化していました。色々削って、シンプルに要約すると、「善行を行う私たちにの道を阻むお前たちは、死んで当たり前だ。私が正義だ」という意味です。なので、自分の行為の責任を聖書に押し付けているわけです。

https://www.youtube.com/watch?v=1UJGjEKC1GI

元々指示に従う殺し屋なのですが、自分の観点や考え方を持つ傾向のあったジュールスは、至近距離で銃を撃たれて無傷で生還した奇跡体験をきっかけに、自分の行動や考え方をもう一度見つめ直し、彼の軸が確立されていきました。

一方で、ジュールスと同じく指示に従って行動するのですが、特に自分の観点や考え方を持ち合わせないヴィンセントの行動はいつも衝動的で利己的です。なので仕事では、自分の間違いやミスを周りのせいにして怒ったり、生活の中でも、人が言う噂を確証を得ずに信じたり、自分の健康を考えず適当に酒や食事をとったりしている軸のない人間です。

そして、ヴィンセントも同じ奇跡を体験したのですが、ジュールスの様にそこから気づきを得ることができませんでした。

この違いの結末をうまく表現していたのが、最後のレストランのシーンです。

https://www.youtube.com/watch?v=-spzlAoHJTI

レストランで強盗を試みたカップルの男の方が、ジュールスに捕らえられ、カップルを諭すシーンです。ジュールスは元々も持っている衝動的な側面を落ち着かせながら、彼が殺す前に読み聞かせる聖書の一文を通して今までの自分を振り返ります。そしてその一文の捉え方が変わった事を次の様に話します。

「真実は、お前が弱者で、おれが暴虐の悪だ。でも努力している。羊飼いになるために、精一杯努力している。」(” The truth is, you are the weak, and I’m the tyranny of evil man. But I’m tryin’ Ringo. I’m tryin’ real hard. To be the shepherd.” )

今まで、自分自身の衝動的で攻撃的な側面が、人々の善行を妨げていた。なので、今度は自分が羊飼いとなり、自分から選んで善行を行い弱い者を導く事を決めました。

そして、この変容こそが「怒り」の意図を超越した行動を可能にし、彼が殺し屋業で得た報酬1500ドルの全てを、そのカップルにあげてしまうのです!そしてカップルを生かす事にするだけでなく、彼らの人生をも変えるキッカケを作り、さらにレストランにいる全ての人を守ったのです。

それとは対照的に、ヴィンセントは最後まで自分自身を変容させることができませんでした。その違いを明確にするかの様に、ジュールスと同じ金額の1500ドルの報酬を受け取ったヴィンセントは、そのお金で麻薬を買い、そこから新たな、怒りに関連したトラブルを引き起こしました。

人生で怒りを引き出す出来事は多くありますが、どう反応するか選択する力と機会は誰にでもあります。そして大事なのは、怒りのムードの中に巻き込まれた時、羊飼いの様にいかに自分の理性を保つことができるのか、それともそのムードに動物的に反応し攻撃してしまうのか。この選択肢に気づき、怒り以外の行動、ジュールスがとった和解の様な行動へ辿り着くことができれば、ヴィンセントの様な攻撃すると復讐されるという無限的な怒りのループから離れることができるのでしょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!日々感じるイライラや衝動的で反発的な気持ちがある時、是非「パルプ・アクション」のヴィンセントの結末とジュールスの変容っぷりを思い出してみてくださいね!皆さんの映画の感想や意見をお待ちしております!是非LINEやMediumのコメント欄から投稿してくださいね!

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イシキSmoothy

あなたの本来の生き方をコーチングする人生のデザインスタジオです。科学とスピリチュアリティが融合した視点を通して、人生を形作る核である私たちの意識についての考察や、実体験から得た発見を発信します!Contact: http://www.ishikismoothy.org/